育てる営みを振り返る
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)
この図に照らして、現代の家庭の子育てを振り返る
さて、この図に照らして、お母さんの子育てを振り返る時、初回でも触れたように、お母さんの「養護の働き」は十分に子どもに届いているでしょうか?子どもに接する時、子どもの存在を優しく温かく包むような心の動きになっているでしょうか?
そこが弱くなったまま、子どもに何かを買い与えたり、行楽に連れて行ったりすることを愛情と履はき違えていないかというのが、最初に問題にしたことでした。
私の見るところ、今多くの家庭の子育ては、子どもの思いをていねいに受けとめることを忘れて、ひたすら大人の願いを強く伝えるところに傾いているように思います。「あれをしなさい、これをしなさい、どうしてそうするの」というように、すべてお母さんが仕切ってしまって、子どもの「こうしたい、こうしたくない、こうしてほしい」という思いが顧みられないまま、それをすべて「わがまま」や「聞き分けがない」としてしまっているところに、子どもの育ちが歪む大きな理由があるのではないでしょうか。
つまり、このヤジロベエの本来あるべきバランスが「教育の働き」のほうに大きく傾いているということですが、その「教育の働き」も、本来の大人の願いを優しく伝えるところから逸脱して、大人の側の一方的な願いを押しつけるかたちで、「これをしなさい、あれをしなさい、どうしてこれをしないの」というふうに子どもの背中を押す対応になっているように見えます。
そしてそうなるのは、早く力がつくこと、早い発達がよいことだという思い込みがお母さん方にあるからではないかと、第2回、第3回では述べたのでした。
このヤジロベエが右のほうに傾いている問題は、就学前の保育でも、就学後の学校教育でも変わりません。学校教育が上手くいかないのも、教師の「養護の働き」が弱くなっているところにその理由を求める必要があると私は思っています(保育に理由を求めるのではなく)。 勉強嫌いは、勉強しなさいと発破をかけるだけではなくなりません。どうすれば勉強がおもしろいと思えるようになるのか、そこを考える時、「養護の働き」と「教育の働き」のバランスという問題に必ず行き着くはずです。
*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。
第9回は5月上旬に更新予定です。