公益社団法人 全国私立保育連盟

あの日を忘れない 東日本大震災

Reportage No.7 想定外を想定する…その時守るべきものは何か①

全私保連調査部*岩手県山田町ヒアリング報告
想定外を想定する…その時守るべきものは何か

【保育通信No.692/2012年12月号】

1 山田町第一保育所を訪問して

 昨年発生した東日本大震災に際し、全私保連調査部では今回の震災がもたらした被害の状況や直面させられた課題について、災害弱者といわれる乳幼児が日々をすごす場としての保育園に及んだ影響の度合いや突きつけられた課題の大きさをしっかり検証していくための調査活動が必要であろうとの視点から、保育園への地震による直接の被害・損壊や人的被害の程度の状況や生活環境(インフラ等)に及んだ災害の程度と、その後の生活維持への被害や影響がどのように及んだかなどに関する調査を行いました(参照/平成24年3月15日発行・『東日本大震災関連アンケート[関東エリア版]』[本誌3月号付録])。
 この調査エリアを決める際に、震源に近く被害の大きかった岩手県、宮城県、福島県では地震の揺れの大きさもさることながら津波や原発等各々の園で被った影響の差が大きく、定性的な傾向を掴むためには関東エリアを調査対象に限定するとした経緯がありました。
 『東日本大震災関連アンケート[関東エリア版]』からは、次の7つの考察を得ました。

① 震災の大きさに比して直接的な被害は比較的軽度だった。
② 日頃の避難訓練や緊急時マニュアルの有効性を確認。
③ 災害発生時の園児の居場所がその後の対応に大きく影響する。
④ 揺れがおさまった後の園の対応は園の位置する環境により2極化した(ほぼ通常通りと翌日まで開所)。
⑤ 今の社会で便利なツールである携帯電話とインターネットが地震直後使えない。
⑥ 園舎の施設など被害がなくても、インフラ(水・ガス・電気)の不通により保育ができなくなる。
⑦ 地震による被害が軽度でも、その後の放射線量の上昇で食材の確保と品質の不安、散歩や外遊びへの不安とそのことによる保護者対応が必要。

 この考察をもとに、今後我々が取り組むべき4つの課題が見てきました。
① 園の地域特性を考慮した避難訓練・マニュアルの見直し。
② 子どものことを優先すれば被災後即地域の避難所へ移動ではなく、可能な限り慣れた保育園ですごすことを前提とした環境づくり・備品の確保 
③ 地域における乳幼児の避難所としての立場を想定し、地域の防災拠点として備える必要性
④ 災害時に互いに助け合い支援力を生み出せるネットワークづくり 

 この4点を課題提起として、「東日本大震災関連アンケート調査」のまとめとしました。
 そして我々は、災害時における保育園の対応に関し、備品等を事前に備えるというレベルの対策は容易にイメージできるが、緊急時にあらゆる面から追い込まれた状況の中で行う避難の方針を下す過程を浮き彫りにすることで、園長・主任もしくは園全体の判断力向上の対策にすることはできないのか、また、我々の提起がどれだけ実効性があるものかを検証する目的で、被災地で厳しい現実を向き合った岩手県山田町の2つの園(社会福祉法人三心会が運営する山田町第一保育所と豊間根保育園/この2園は、昨年4月に全私保連でも訪問しており、当時の状況は本誌で報告されている)を訪問しました。
 この2園は同じ町にありながら、立地の違いにより津波に被災し保育の休止を余儀なくされ、復旧を目指した園(山田町第一保育所)と、高台にあり施設が無事だったことから、保育を行いながらも地域の避難所として被災者を受け入れを行う園(豊間根保育園)は地形を見てわかるように、当時の状況が分かれました(図1参照)。



図1 社会福祉法人三心会が運営する3園の場所
 



図2 岩手県山田町の位置


(社福)三心会が運営する3園の場所は図1の通り。正確な標高はわからないが、どの園も最寄駅から近く、その駅の標高から織笠保育園(織笠駅:4.6m)、山田町第一保育所(陸中山田駅:2.8m)、豊間根保育園(豊間根駅:32.1m)。海岸からの距離と標高からわかるように山田町第一保育所と織笠保育園は津波の被害に遭遇し、豊間根保育園は(海岸線からは約10km)は津波による被害はなく、震災直後から避難所となった。

 1 山田町第一保育所の当時から今日までの様子から学ぶべきこと

 山田町第一保育所の阿部所長、佐藤事務長のお二方のお話を伺いました。大地震から始まる津波、火災、復旧等での保育園としての対処について非常に適切な判断のもと行動され、被害も最小限に押さえられているように感じました。しかしながら、父親が迎えに来て降園した姉妹の園児2人が、その後父親とともに津波にのまれて亡くなったことを悔やみ、『保護者に返すべきではなかった』と振り返るお二方の様子を見ると、誰の責任であるかは問題ではなく、園児とその保護者の命を守れなかった現実に目を向けることで、今後の防災、危機管理への考え方を変えて行かなければならないと感じました。
 あの3・11の当日、結果として大事に至らなくても東日本の各地で園児を保護者に引き渡した時点で園の責任を果たしたと考えた方も少なくないと思います。日常的には園児と保護者の安全を降園後まで考えることはしないと思いますが、3・11の大震災の日は降園後の安全まで配慮をしなければならない状況でした。
 阿部所長が当時を振り返り、今後の防災対策、危機管理には、どんなことが起こっても想定外を言い訳にしないで最善の対処法を皆ができるようにならなければならない、すなわち、『想定外を想定する』ことの大切さを私たちに教えてくださりました。今回の被災地現地調査のまとめとして、『想定外を想定する』ということについて考えてみます。

震災による人・家・ライフラインへの影響

2 『想定外を想定する』ということ

 『想定外を想定する』を考える際に、まず想定外とはどの様な状況なのかを考えてみます。人が何かを考えよう、行動しようとした際にはある程度の設定が必要となりますが、それが想定です。この想定なしには物事の境目がなく、思いつく考えもまとまりがなくバラバラになってしまいます。また、この想定の範囲が大きければその範囲内で起こりうる可能性も大きくなるため、その対処法はむずかしくなり、逆のいい方をすれば、ある想定に対しより完璧な対応を求めるとすれば、その想定の範囲はより狭いほうがやりやすいともいえるでしょう。例えば、保育園での避難訓練をイメージすると、単なる火災のみの避難訓練と地震から始まる火災、二次避難まで想定した避難訓練とでは実際の心構えや行動はかなり異なると思います。
 また避難訓練の想定をする場合、どの保育園において手間も時間も費用も無尽蔵にあるわけではないので想定にはある種の制約や制限付きで、現状で対処できる範囲内に設定してしまう傾向があります。この制限から、外側の対処方法が決まっていない部分のことがいわゆる想定外と呼ぶと思われるのですが、ここで注意したいのは、起こりうる可能性があるとわかっていることでも、先ほど挙げた手間・時間・費用などの問題から対処法が見つからず想定外になってしまう、想定外にしてしまうことがあるということです。例えば、今回の震災による津波は最大で30m級とされていますが、東日本の沿岸部すべてに30mの防潮堤をつくるのは費用的に不可能であることは容易に想像がつきます。
 津波でなくても、自然災害や突発的な事故等の影響により、
●停電、通信手段の断絶、上下水道の断水・使用不可(トイレの使用不可)
●空調、冷暖房の停止
●交通機関の不通、道路の断絶・通行禁止
●食糧・生活必需品の入手困難
●理事長・園長・主任等のトップの長期不在
などが起こる可能性は十分考えられますし、今回の大震災のように、これらのことが同時に起こりうる可能性は0ではないとわかっていても、実際に起きた場合は想定外のことであり、何から手をつけて良いのかわからなくなってしまうことでしょう。
 では、前記のような状況でも保育園として最善を尽くせる環境、判断基準とはどういったものであるか[想定外を想定する]を考えてみたいと思います。
 まず[環境]ですが、思いつくのが施設面、備品面、人的面です。しかし保育園の場合、これらのもとになる財源の状況は各自治体・各保育園によって異なることと、どの園も限られた財源の中で行っている運営ですから、ここで一概に述べることはむずかしいものがあります。しかし、財源に依らない組織からの支援という意味で全国規模(近隣地域どうしでは同じように被災している場合があり、その地域内での助け合いが難しい可能性が高いため)の組織でのネットワークづくりは大切であり、実際に山田町第一保育所でも、岩手の沿岸部では数少ない全私保連加盟園だったということで幸いだったという言葉を伺いました。平常時に組織力を強く感じることはなかなかむずかしいかもしれませんが、組織力はその園の無形の財産の一つと考えます。
 また人的面で、理事長、園長など組織の長が不在の場合(出張でなくても日常の早番、遅番など配置職員が少ない時なども含めて)でも、非常時に誰が責任者となり、指示を出して行動するかを決めておくことと、その場面において責任者となる職員に自覚を促す訓練が必要と思われます。
 このように環境的な部分については、ある程度事前に準備できることですが、実際の非常事態になってから重要なのは、その後の行動を決める判断基準となります。これについてはさまざまな考え方ができると思いますが、今回の現地調査で感じたこととして、以下の事項に注目しました。

① 安全安心を優先する
 利用者である園児と保護者、そして職員の命の確保を優先します。当たり前のことですが、家や車を守りたいという意識のために避難が遅れて津波にのまれたように、いざという場面では躊躇なく物への執着を捨てる覚悟が必要です。また、それぞれが背負う責任(保育園の職員であれば園児の人命を守る)をきちんと最後まで果たすには、安易に園児を保護者のもとへ帰さずに、保育園が安全な場所であれば留まってもらう決断も必要だったと知ることができました。
 また、三陸に伝わる『津波てんでんこ』という言葉が意味するのは、「津波の時には家族のことも構わずにてんでんばらばらに避難せよ」ということであり、家族に会えない心配はあっても、そのほうが多くの人が生き残ることができると過去の体験から教えようとしています。しかし、愛する家族を放ってこれを実際に行動するのはやさしいことでありません。これを実践するには、子どもであってもお年寄りであっても、しっかりと一人ひとりが避難して安全に生き延びられるという日頃の訓練と信頼関係が培う必要があります。実際に、震災2日後まで園児を迎えに来なかった保護者は『避難所より保育園にいたほうが子どもには安心』という判断の上での行動でした。

② 平常時に行っているやり方にこだわらない
 平常時における最善が、非常時における最善とは限りません。災害時の山田町第一保育所において、避難所への道が狭く避難車(手押しのお散歩カー)が通れなかったため、保育士がおんぶヒモと両脇に子どもを抱えて避難先へ移動しなければならない状況に遭遇していました。
 人は普段の効率の良いやり方に慣れてしまうと、手間をかけたり、遠回りして目標にたどり着くことをしなくなります。日常の業務での分担作業も、あまりに特化してしまうと全体像を考える力がなくなり、非常時には多くの対処不可能な想定外を生む結果につながります。

③ 判断に迷った時には『人としてどうあるべきか』を考える
 日頃から防災計画を作成し、避難訓練等を十分に行っていても災害時にはすべてが非日常であり、判断に迷うことも数多くあると思いますが、振り返って後悔しない選択は『人としてどうあるべきか』という視点で考えることが大切と感じました。
 初めに述べた安全安心を優先することもこれに含まれると思いますが、命にかかわることではなくても、震災後の夏に園行事として復興夏祭りを開催するかしないかで随分悩んだと伺いました。結果的に復興夏祭りは開催され、園児、保護者はもちろん地域の方からも好評だったようですが、『みんなが笑顔になれること』をしようという、人としての根本の願いが否定されることはないという証明であると思いました。

 この度調査部の取材にご協力いたいた山田町第一保育所、豊間根保育園、織笠保育園の3園の皆さんからのお話を伺い感じたことの結びとして、各組織からの保育士の派遣に非常に感謝されていた印象があり、それ以外にも物資等でもたくさんの支援が全国から寄せられたとのことでしたが、果たして被災地の保育園のすべてがこのように支援を受けていたかというとそうではないと思いました。それは、被災した状況の中でも園の状況を外部へ発信していたことが支援を呼び込むことにつながったのであり、被災地に支援はしたくても状況がつかめず何もできなかったという、支援をしたくてもできなかった、送りたくても送れなかった方々の声に対する1つの答えでした。
 そのような意味で、『支援の受け方』という視点もこの未曾有の経験から学ぶべきことだと思います。

(齊藤 勝/全私保連調査部)

東日本大震災の教訓(山田町第一保育所)

① 子どもの生命を絶対に守る使命感
② 子どもを保護者に引き渡さない
③ 想定外を想定する
④ 決断には園長のリーダーシップ
⑤ 避難所には数か所を選定
⑥ 最終避難場所は屋内の避難所
⑦ 避難経路は保護者にも通知
⑧ 食糧・飲料水の備蓄(3日間)
⑨ 情報収集のために携帯ラジオ
⑩ 夜間の避難に備えて懐中電灯を常備

 

東日本大震災で園庭に避難する山田町第一保育所の様子