公益社団法人 全国私立保育連盟

あの日を忘れない 東日本大震災

今、福島県の保育は…その2◆福島県南相馬市

東日本大震災・福島第一原発事故後1年半
今、福島県の保育は…その2

◆福島県南相馬市・北町保育所の現状◆

 【保育通信No.692/2012年12月号】


多くのボランティアの方の手を借りて園庭を除染
 

1 放射線への不安とどのように向き合っているか
 現在、南相馬市内の放射線量は市街地でおおむね、毎時0.3~0.6mSv。場所によっては毎時数mSvのホットスポットがあり、郊外に行くと高い線量が計測されています。
 保育所をはじめ幼稚園、学校施設等に関してはおおむね毎時0.2mSv未満という状況です。したがって、保育所に関しては、園内で活動している範囲では外部被曝のリスクは低下すると考えられます。しかし、一歩外へ出ると相対的に高い線量となるのが現実です。
 園児の自宅をはじめ、生活圏内の線量が子どもに影響があるのか否かがわからないことが、保護者の第一の不安といえるでしょう。
 市や国は、最優先課題として生活圏内の除染を早くからあげてきました。しかし、平成24年10月現在でもほとんど除染は進んでいません。これは、除染によって出る膨大な汚染廃棄物の仮置き場が設置できないことによるためです。
 実態のつかめない放射線への不安、まったく進まない除染への苛立ち…。南相馬市に住み、子を持つ親の不安はこの2点に集約できるのではないでしょうか。

 北町保育所では、毎日定時定点で空間線量を計測、玄関の掲示板やインターネットのブログで報告を行っています。現在では環境中の空間線量も変化の生じない安定したレベルですが、あえて毎日計測しています。これは、毎日計測するという行為を通して、徐々に関心が薄れつつある放射線量に対し、「保育所は放射線に対して警戒しています」という意志を表明し、危機感を持続させる姿勢を示しているのです。
 また、園内での諸活動に関して保育所が考えていること、計画していること、実施したことに関する情報を可能な限り公開し、理解を得ることを重視しています。
 今、多くの福島県民は納得のできる情報を求めています。それは、意図的な操作、調整をされた情報ではない、裏表のない正直な情報です。
 保育所としてできることには限界があることがあります。実際にできること、やったこと、そして、実行する上での意図を誠実に伝えていくことに集中しています。現在、この地で大切なお子さんの命をお預かりする上で最も必要なことであると考えます。

2 給食や遊びで気を使っていること
(給食)

 食材は県外産を使用。可食量の多い米と水に関しては、各地の支援でいただいたものを利用させていただいています。また、米や水以外でも野菜や加工食品等多くの支援をいただく中で、安全な給食の提供を行ってきました。
 さらに、県・市の補助事業ではありますが、保育所、学校等に食品の放射線測定器が1台配置され、毎日2~4品目の放射線を測定し、安全が確認された食品を翌日の食材に使用しています。計測に関しては、市より1名専属の職員が配置されています。4月から実施していますが、セシウム、ヨウ素ともに検出されたものはありません。
(遊び)
 子どもにとって、屋外で思いっきり遊ぶことは必要不可欠です。しかし、放射線が心配で外で遊ぶことに躊躇することも多いのは事実です。結果として、福島県内には行政、NPOの力で屋内の遊び場が数多くつくられ、運営されています。
 しかし、北町保育所はあくまで屋外活動にこだわりました。私たちの保育所では除染の結果、きわめてリスクの低い環境になりました。これは、科学的な調査と複数の専門家からの助言で確認しました。
 そして、規制区域外に設置した臨時保育園の頃から、屋外活動を控えていると子どもの体力低下、情緒不安定に注目してきました。多くの保育士は「条件さえ揃えば、思いっきり屋外で遊ばせたい」「今、外で活動できないことによって、子どもの人生において失われる大切なものは無視できない」といった意識を持っていました。
 そこで現在、北町保育所を巡る状況について議論を行い、外遊びを原則解禁するという方針を立てました。そして、保護者に対しても方針を丁寧に説明し、理解を求めました。少々乱暴な気もしましたが、日々成長する子どもを前にこれ以上躊躇していられませんでした。
 「外遊びに対して、個々のニーズに対応できないか?」という議論もありました。これに対しては、一人のために全体が屋外活動できないのは釈然としない、一方で、クラスの多くが楽しく外遊びをしているのをたった一人だけ保育室に残すのは残酷だし、外遊びから帰った子どもも居残った子どもを思いやって遊びの中の楽しい気持ちの共有化ができなくなってしまっている、これは、外で遊んだ子も、中ですごした子も両者にとって残酷な結果であると考えました。
 以上をもって、年度代わりの4月より一斉の解禁を表明しました。保護者には丁寧に説明を行い、それでも不安な方については“別の選択”も考慮する提案をしました。結果、1世帯2名が“別の選択”を行いました。
 その後は、マスク着用や放射線による時間制限は設けず、のびのびと遊んでいます。除染の結果、多くの遊具を処分せざるを得ませんでしたが、その分広くなった園庭を縦横無尽に歓声をあげながら駆け回る子どもたちは輝いています。ただし、乳児や1歳児は直接砂等を口にする危険があるので、サークル車によるお散歩に制限しています。
 ここで注意してほしいことがあります。屋外活動の是非についてです。私たち北町保育所の除染の結果が比較的良好に出たのは単に置かれた環境によるものであり、他の施設より優れた除染を行ったというわけではありません。同様の除染を行っても環境条件でなかなか線量の落ちない施設もあります。しかも、私たちの保育所から2㎞程の距離で。
 また、屋外活動に難色を示している保護者の方たちの認識も尊重しなければなりません。みな同じく「子どもの安全と成長」というテーマのもと方法論が違うだけで、どちらが正解でどちらが優れているかという議論にはならない…を十分に考慮していただきたいです。これが放射線による問題を困難にしている面でもあります。

3 子どもの様子
 日常の保育の中でも「被災地の子ども」であることを意識させないよう、平穏な生活を心がけて保育を行っています。子どもたちは非常に明るくすごしています。
 事故後早い時期には「津波ごっこ」や「放射能ごっこ」といった形で自分の気持ちを表現していました。しかし、1年を過ぎた頃から友だちどうしで「地震は恐かったよね」「すごく揺れたよね」と、言葉で感情の共有を行う姿が見られるようになりました。これは、自分の感情や漠然とした不安を言葉にして表現できるようになった場面で、子どもたちの内面の成長を感じさせられました。
 また、帰還して保育所に預けて就労することで、親子とも精神的に落ち着いてきているように感じられます。入所当初落ち着きがなく友だちとトラブルをよく起こしていた子どもや、送迎の際イライラして鋭い声で叱責をしていた親も、夏まつりや運動会、日常の保育所生活の中で穏やかになっていくのがわかります。

4 行政・国・東京電力への対応について
 行政に関しては、震災当初からかなり混乱し、結果として私たちも翻弄させられました。直接私たちと接している現場の担当者は、私たちに対して真摯に対応していただき、非常に感謝しています。しかし、組織全体としては機能不全に陥っていた感が否めません。
 部署間での連絡の滞り、意思決定の遅さ等には苦労させられました。私たちは保育所がいつ再開してもすぐに保育ができるよう、職員の雇用を守りました。施設の修繕も4月から行いました。帰還児童が多くいることを受け、規制区域外で臨時保育園を立ち上げました。
 当然、経費も発生します。しかし、4~6月までは対応策が決まらないとのことで、まったくの無収入でした。民間施設は公立の施設と違い、その経済的基盤は脆弱です。さらに、民間の園に無期限休園を指示しながら、一方で公立の施設を真っ先に再開させようとまでしました。また、民間園が協力して臨時園を開設しようと立ち上がったのに対し、きわめて冷淡な態度を向けられました。
 これまで市の待機児童解消、児童福祉の向上にむけて可能な限りの貢献をしてきたつもりでしたが、市や県の民間施設に対する冷淡さ、無関心さに対して非常に虚しい気分になりました。私たちは一旦潰れれば再起はきわめて困難であり、子どもたちと職員に対して残酷な結果しかもたらさないことを認識していただきたいと思います。そして、一部幹部のオフレコの発言にあったのですが、「私立の保育園は利益追求が目的」との認識も改めていただきたいです。民間の園は事業の再生産のために一定の事業収益の確保は重要です。しかし、その収益の処理や目的はすべて透明にしています。きわめて本質から外れたニュアンスで私たちを見ている、その認識を改めていただきたいと思います。
 現在、原町区内の公立施設は休園とし、民間保育園の事業を優先しています。これも民間施設の働きかけが功を奏したと考えています。 
 市、県、国とも口を揃えて「除染」を訴えています。しかし、まったく実行されていません。「福島の復興なくして日本の復興はない」などといっているだけでは、復興するどころか荒廃していく一方です。
 役所はもっと愚直に仕事してほしい。我々は市、県、国の情報隠蔽に何度も苦しめられてきました。役所の意図が、住民を守るというより秩序の維持に主眼があったことも明らかになり、我々は役所に対して絶望的なまでの不信感を持っています。役所が何をいおうとも私たちの心には届きません。私たちは目に見える行動と実績しか受け入れられません。このことを重く受けとめてほしいと思います。
 今回の事故の全責任は東京電力にあります。津波による被害想定は以前から各方面より指摘されていたにもかかわらず、耳を貸さずにいた結果、このような事態を招きました。早急に事故を収束させ、必要な賠償を行うよう求めます。
 幹部が何度土下座しようとも、我々の生活は何ら変わりません。保育所の子どもたちに恥ずかしくないことを行ってほしい。子どもたちは行政、国、東京電力の態度をしっかり見て、記憶に刻み込んでいます。

5 保育をする者として放射線、原発問題をどのように考えるか
 原発事故は、この地域のすべてを破壊しました。
 それは人々の心、生活、コミュニティといったソフトウェアの破壊です。そして、破壊のストレスは社会的弱者としての乳幼児に還元されています。私たち保育の場に立つ者としては、未だかつてないケースに直面しています。
(この地に生きる人たち)
 目に見えず、決して実体が明らかにならない放射線とのかかわりの中で、心の中に絶えずに大きな負担を蓄積させています。さらに街の再建も見当がつかない中、いわれのない差別の可能性に怯え、「ここで生活していいのか?」ということを自問自答しています。
(避難している人たち)
 多くの避難中の人たちも穏やかではいられません。
 「自分たちだけ安全なところに避難している。現地で頑張っている人たちにどう思われるか。申し訳ない」といった罪悪感を持つ人が少なくありません。これから帰還しようかと考えても、「今更帰って大丈夫かな?」という心配でいっぱいなのです。
 さらに、父親が南相馬市に残り家族が遠方に避難しているケースも少なくなく、この場合、家族そのものが崩壊の危機にあります。多くの家族はこの地で生まれ、この地で子を育て、この地で老いていく。このような平穏な人生設計をしてきた人たちに突然降り掛かった家族の離別。そして、この“単身赴任”の任期はいつまでかも明らかでないのです。
 国民の意識がようやく成長一辺倒から、家族というミニマムなコミュニティの再評価へ向かって本格的に動き出した中での別離。
 私たち多くの家族が味わう苦痛は私たちの責任ではない、まったく納得のいかない苦痛なのです。
(子どもたちへの影響)
 子どもは、大人の様子をよく見ています。大人たちの不安はすべて子どもたちに伝わり、その心や行動に影響を及ぼします。
*昨年のクリスマス。ボランティアで保育所にやってきたサンタさんへの質問コーナーでの質問が、印象的でした。
  「放射能がいっぱいあるけど、サンタさんは僕の家に来てくれますか?」(4歳児)
*親子で比較的遠くの公園へ行き、そこで友だちをつくったK君。いつも元気でやんちゃ坊主。楽しく遊ぶうちにちょっとしたトラブルが発生。相手を怒らせてしまいました。そこでK君としては仲直りのため一生懸命考え、野花の花束をつくって手渡しにいきました。ここまでは非常に微笑ましい光景です。しかし、相手の子に「ママに草をさわっちゃダメっていわれているから」と一言いわれ、K君の花束は無惨にも地面に振り落とされてしまいました。

 このような体験の中、子どもたちの感じている痛みを放置すれば、確実に子どもたちの心は壊れてしまいます。子どもたちが言葉にできない気持ちを引き出し、受け入れ、支えなければいけません。しかし、この地の特殊な条件の下で参考になる経験はほとんどありません。自分たちで道を拓くしかありません。
 私たちスタッフは、子どもたちの将来に対して責任を持つことはできません。しかし、「いま、ここ」にいる子どもたちの成長を支援することはできます。
 「いま、ここ」にこだわり、肩の力を抜いて、しかし毅然とした態度で保育に臨んでいく決意であります。

近藤啓一/福島県南相馬市・北町保育所副所長