公益社団法人 全国私立保育連盟

あの日を忘れない 東日本大震災

「あたりまえの生活」がどれだけ大切なものなのか

東日本大震災・福島第一原発事故後2年10か月
◆「あたりまえの生活」がどれだけ大切なものなのか◆

近藤啓一●福島県南相馬市・北町保育所副所長

【保育通信No.705/2014年1月号】

2013年の夏は各地で自然災害が発生し、多くの災害で被害を受けた方には心からお見舞い申し上げます。
震災から2年半経過した南相馬市では平穏な夏でした。いつも通りの保育を実施し、子どもたちは元気に園庭を走り回っています。このような日常の中、私自身「被災地」と呼ばれることに若干の戸惑いを感じています。
しかし、少し目を転じると、園庭には放射線量計測のモニタリングポストが無表情に鎮座。お休みしている保育室では給食食材の放射線量を毎日計測。廊下には、支援でいただいた飲料水の在庫。保育所の外に目を移せば、子どもたちの消えた公園、夜8時には人通りの絶える市街地、耕作を禁止されて雑草が支配する広大な田んぼ、それとともに姿を消してしまったトンボやカエル…。
とても不自然な世界が広がります。これを被災地と呼ぶのだと自身を納得させます。
東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、市内の状況は時が止まったがごとく良くも悪くもなっていません。
事故直後は、慌ただしい避難生活や不安になっている周囲にいる大人の影響でやや落ち着きのない子どもたちでした。保育所に寄せる保護者さんたちのニーズは「あたりまえの生活を送らせてほしい」でした。私たち保育所スタッフも安心して遊び、食べ、くつろげるあたりまえの生活を実現できるよう努めてきました。
お陰様で、現在は園庭の放射線量も毎時0.15μSv未満となり、屋外活動も思う存分楽しめるようになっています。子どもたちはのびのびと生活しています。


【南相馬市で生活する方々】
放射性物質による環境汚染、それによる子どもたちへの影響を気にしない親さんはもちろん皆無です。保育所の中は真っ先に除染した結果、比較的良好な状況ですが、園外では未だ線量の高い地点が多くあり、公園などで遊ばせられない家庭も多く、休日は隣県の宮城や山形まで遊びに連れて行くケースは多く見られます。
自分たちの不安な様子が子どもたちに影響するため、多くの親さんは比較的平穏をとりもどしています。しかし、最近の原発のトラブルに際して多く聞くのが「また避難するのは嫌だ」という声です。それだけ、避難生活は大人にとってもトラウマになっています。
親さんの最大の不安は、医療と教育の問題と感じます。
市内の小児科専門医はほとんどなく、内科と一緒にやっている医院でも、少々むずかしい症状になると市外の病院へ紹介されます。市立総合病院も外来診察は午前中のみ。震災前は受け入れていた小児入院も現在はなく、約25km離れた相馬市まで行かなければいけません。命を守る拠点である病院不足はきわめて重い問題です。
教育問題では、約半数になってしまった小中学校で行われている教育について、子どもの将来設計にも関係する問題なので多くの親さんは悩んでいます。
それらの問題に不安を感じながら、しかし、多くの親さんは一生懸命明るく子どもを育てています。

【避難されている方々】
避難して2年半以上経ち、元園児世帯との連絡も少なくなり、リアルな声も得にくくなっています。その中で耳にした状況は、放射性物質汚染問題は心配していないが、子どものことを考えると帰還できない。これは、子どもの健康問題というより、現在の環境に関してです。
2011年3月中旬。友だちと「さよなら」もできずにいきなり散り散りになった子どもたち。不安で慌ただしい避難生活を通して子どもたちは孤独の中にいました。
そして始まった新学期。あくまで仮の生活と考えていた大人は多かったでしょう。暫定的なつもりで入学、通学を始めた子どもたちはそこで人間関係をつくり始めます。友人に囲まれ、いきいきとして楽しんでいる子どもの姿を見ると、再び彼らの世界を引き裂くのは躊躇われるのです。それは親として当然の感情だろうと思われます。
子どもたちにとって、故郷の思い出はほとんどありません。彼らは今現在を生きているのです。
また、長期間避難していることで引け目を感じてしまい、今更帰って近所や職場の人に何いわれるか、どう思われるか怖い。実際は地元では帰還を歓迎する声がほとんどですが、「南相馬市=みんな苦労している」という形ばかりがメディアにのると引け目を感じてしまうのは理解せざるをえません。行政等では盛んに帰還促進の計画がつくられていますが、これらの深刻な声を聞いていると、どんな計画も今ひとつ心に響いてきません。私自身、この問題には解決策は見つけられません。

【父親不在の家庭】
未だ多く存在するのが、市内に父親のみが残り、母親と子どもたちは避難しているケースです(もちろんごく少数ですが母残留、父子避難のケースもあります)。これは、単身赴任的な状況ですが、二重生活にかかる経済的負担は大きく、一方でそれを補う手当などないため、生活がかなり圧迫されている状況があります。さらに、いつも夕方になれば帰ってきて当然の家族が長期間不在となる不自然さが子どもに与える影響は無視できません。
このような不自然さに対し、意見の行き違いで崩壊する家庭も少なくありません。原発事故は、発電所に何の関係もない家庭すらも破壊し続けています。

【保育士は…】
保育所のスタッフの多くも離職しました。結果として残ったスタッフの負担はかなり重いものになっています。
避難して離職したスタッフを責める気持ちはまったくありません。前代未聞の事故に際して避難すること、残ることのどちらが正義かなど軽々に判断できません。しかし現実問題として、募集しても有資格者は一向に来ません。ただでさえ全国的な保育士不足の中、南相馬市は著しいハンディキャップを課せられています。微々たる数ですが、徐々に帰還し保育を希望する人も見られるようになりましたが、現状では基準を満たす職員が確保できず、泣く泣く応募を断らざるを得ない状況にあります。
震災直後より民間園3園が法人の壁を越えて共同で始めた臨時保育園「なかよし保育園」から始まり、除染を経て自園での保育再開と2年半、スタッフは疲れた様子も見せず奮闘しています。その頑張りに応えるよう、一刻も早いスタッフの確保が必要な状況です。
見えない疲労の蓄積が最も恐れているところです。

【放射性物質による環境汚染とその他の雑感】
放射性物質による環境汚染を具体的に描ける人は、今まで皆無でした。 30数年前のSFアニメで描かれたのは“放射能”に汚染された地球の地表面は水もなく、一切の生命の存在も許さない世界でした。しかし、現実の汚染はもっと静かで陰湿なものです。五感をフルに働かせてもその存在を感知するのは不可能です。唯一、放射線測定器の表示のみがその存在を示しています。しかし、確実に“それ”は存在し、放射線を放っています。
先述のアニメでは、苦労して放射能除去装置を持ち帰り、地球は青い星に戻りますが、現在の技術では、放射能は換気すれば除去できるような代物ではありません。できるのは放射性物質を漉しとり、まとめて、できるだけ人間から遠ざけることだけです。彼らは一度放射線を放出し始めれば止めることはできず、その能力の続く限り放射線を放出し続ける、それが放射能なのです。
9月に入り、東京で再びオリンピックが開催されることが決まりました。私は、この決定の前から複雑な気持ちで眺めていました。「それより東電の原発処理のほうが先じゃないの?」と。そして五輪開催地決定直前、政府は廃炉に向けて巨額の予算措置を行うことを発表しました。「五輪開催地決定を確保するための予算措置?つまり私たちの生活より五輪のほうが大切なのか?」とやや興奮してしまったこともあります。「結果的に廃炉作業が進むのだからいいのではないか」と周囲に諌められましたが、やはり納得できません。
私か五輪開催決定に素直になれない具体的な理由は、開催に向けて除染、廃炉作業が遅れるのではないかという懸念があるからです。現在、東電の原発で作業する人員は十分ではないといわれています。しかも、被ばく許容量の上限に達したベテラン作業員が次々と現場を去り、現在従事している作業員の多くは、原発という高度なシステムに対する教育も訓練も不十分なまま投入されている練度の低い人員であるといわれています。資材の処理忘れ、パイプの接続の左右間違いなどの単純なミスを聞くと、納得してしまう部分も多々あります。ただでさえ人員不足で難儀している中、東京オリンピックという一大プロジェクトに人員を持って行かれると、いったいどうなるのだろう。これが南相馬市で人不足に悩みながら仕事をしている私の率直な気持ちです。
一時はこのようなことを□にするだけでバッシングを受けかねない不穏な世情でしたが、このような心配をリアルに語れるのも私たち南相馬市で生きている者です。
全国のみなさんに申し上げたいのは、これから7年間、東京オリンピックの興奮の陰で東京電力福島第一原子力発電所がどうなっていくのか注視していただきたいということです。これは福島の子どもに限らず、有効な手を打たねば、全地球の子どもたちの問題になるといっても過言ではありません。

【おわりに…】
9月28日、北町保育所の運動会が3年ぶりに園庭で開催されました。昨年は保護者の不安を受けて体育館での実施でした。素晴らしい青空の下、園庭では親子の笑顔と歓声があふれました。子どもたちは保護者さんと保育所スタッフの努力で、何の屈託もない生活を送っています。「あたりまえの生活」がどれだけ大切なものかを学びました。
そしてこの冬にかけて、入所児童の弟、妹の誕生が相次ぎます。大変な問題も山積していますが、身近で新しい命を迎えるのはとても嬉しく、明るい気分になります。
私たちの取り組んでいる放射性物質汚染問題に正解はなく、誰もモデルを示してはくれません。一つひとつ答えを自分たちで考えながら取り組まなければなりません。それでも私たちは、この子らの出生地から一刻も早く「被災地」という言葉を取り除くべく、毅然とした態度で、しかし肩の力は抜いて進んでいこうと思います。