公益社団法人 全国私立保育連盟

あの日を忘れない 東日本大震災

まどか保育園の現在まで【2】まどか保育園の一番長いあの日から…

東日本大震災・福島第一原発事故後2年4か月
◆福島県双葉町・まどか保育園の現在まで◆【2】
まどか保育園の一番長いあの日から…その2

柗本洋子●まどか保育園副園長

【保育通信No.699/2013年7月号】

 2011年の4月に入り、避難した子どもたちも小学校への入学時期を迎えました。複雑な胸中ではありましたが、新年度を迎えるにあたり前向きな気持ちを取り戻そうとしていた矢先、4月8日に福島県を中心とした大きな余震が発生し、震災当日の恐怖をまた思い起こすことがありました。
 この日、私は、埼玉県加須市立騎西小学校の入学式に出席させていただきました。入学式会場である体育館の中には大勢の報道陣がいたことに驚きましたが、それ以上に驚いたのは、新入生の他に、2年生以上の子どもたちの中にも「まどか保育園」を卒園した子どもが大勢いたことです。双葉町の子どもたちは全部で約90名いたように記憶しています。
 報道によると、放射能汚染による風評被害の影響で双葉町の子どもがいじめにあっているという話も聞き、私も微力ではありますが、子どもたちが仲良く楽しい学校生活をすごせるようにと大勢の方に頭を下げさせていただきました。
 入学式当日は、子どもたちをはじめ保護者の方も素敵な洋服に身を包んでいる姿を拝見できて、このような状況下にあるにもかかわらず立派な入学式を挙行いただけるとは夢にも思っていませんでした。この入学式は、私の一生の思い出に残る出来事の一つになったことはいうまでもありません。
 入学式が終了し、その足で双葉町役場がある場所へ出かけました。当日、天皇皇后両陛下が震災見舞いのためにおいでくださり、皇后陛下からお声を掛けていただきましたことも一生の思い出になりました。

 入学式翌日から、私は他県に避難している保育園の園児たちの中で4月から小学校へ入学した子どもたちに証書と記念品を手紙とともに贈らせていただきました。
 その後、園児たちからお礼の手紙や電話をいただき感動を共有することができましたが、時間が経過するとともに大勢の方が避難先を転々とし始め、住所の把握がむずかしくなりました。避難されていた方の体験を聞くかぎり身につまされる話が多く、仕事の都合で家族が離散されたこと、以前東京電力に勤務されていた方の周囲への遠慮など、今まで考えられない話を耳にし、人々の生活の中でも考えられない出来事が起こっていることを実感しました。

 私たちは、毎年8月に日本テレビが放送している「24時間テレビ」へ出演することが決まり、震災復興に向けたイベントづくりの準備に取りかかることになりました。当日は、真夏にもかかわらず寒い雨の一日となりましたが、園児たちと再会することが叶い、大勢の園児たちと一緒に喜びを分かち合う日になりました。
 年が明けた2月、復興を励ます催しということで、「なでしこジャパン」の選手との交流もあり、大勢の方に励まされながら日々を送ることができました。
 



「24時間テレビ」に出演し、みんなで再会を喜んだ

 震災当日から月日が経過し、私たちの頭の片隅には常に「まどか保育園」の再建がありました。私たち家族は、保育園再建に向けて役場関係者と協議を行うために何回も役場に問い合わせをしましたが、遅々として進むことはありませんでした。
 そこで私たちは、自らの手で再建を進めようと考え、群馬県での避難生活をやめて、ひとまず福島県須賀川市に移転することにしました。しかし、須賀川市も思いのほか放射能汚染がひどく、計測した場所で最も高い値が0.97μSvという値を検出するような状態でした。
 私が移転した場所の近所に多くの小学生や中学生が住んでおり、原発が爆発したあの日からずっとそこに住んでいるという状況です。そのうえ、私の住んでいる自宅から100mしか離れていない公園の一部には、除染で集められた盛土が保管されてあり、「危険」という立看板が立っています。そのような場所から3m程度しか離れていない道路は、小学生が登下校の際の集合場所として利用していました。私は心配になり、すぐに小学校の先生に話しました。その結果、集合場所の見直しが行われ、安心しました。

 しかし、放射能汚染の問題に関しては減ることはなく、さらに拡大しています。大勢の方が放射能汚染に関して多くの取り組みをされ、多くの行動を起こされていますが、更に大勢の方の努力が必要な状況であることに変わりありません。放射能汚染を気にしすぎて精神的に怯えて生活することのほうが健康に悪いということも聞かれますが、そんな問題ではありません。時間が経過すればするほど、今の子どもたちの身体に悪影響が出るのではないかと危惧しています。
 私たちは、どこまで避難すれば放射能の影響から逃れることができるのでしょうか。何をもって正しいといえるでしょうか。人類が経験したことのない事態が起きているのに、誰が安全を保障できるのでしょうか。
 現在、福島県をはじめ日本の多くの方が放射能汚染の影響により苦しめられています。子どもたちが元気いっぱいに外で駆け回り、泥んこ遊びを思う存分味わう喜びを奪われ、首から線量計をぶら下げている姿は痛々しいとしか表現できません。
 今、私の唯一の楽しみは、保育園に通っていた園児たちへ手紙と心ばかりの思い出の品をプレゼントすることです。1日でも早い保育園の再建に向けての足掛かりとなる努力をして、もう一度みんなと再会が果たせる日々が来ることを願うばかりです。
 最後になりましたが、この2年間、大勢の方のお力や素晴らしい出会いに感謝の心でいっぱいです。本当にありがとうございました。今後とも、子どもたちの幸せのために尽くしていきたいと願うばかりです。

3.11以降、手つかずの状態の「まどか保育園」