公益社団法人 全国私立保育連盟

あの日を忘れない 東日本大震災

Reportage No.8 「忘れられていなかったことにとても安心しました」

全私保連*東日本大震災岩手県被災地視察報告
「忘れられていなかったことにとても安心しました」

【保育通信No.694/2013年2月号】

 2011年3月11日に起こった東日本大震災で甚大な被害を東北地方は受けました。被災県の一つ岩手県でも、津波よる被害は全私保連加盟園でも全半壊を含めて9園に上ります。
 これら被災園の復興への取り組みの喚起と激励の意も込めて、昨年10月29日〜30日、伊藤全私保連副会長をはじめ、総務組織部2名、広報部2名で岩手県を訪問し、連盟に寄せられた救援金を、地元・岩手県私立保育園連盟の協力を得ながら9園中8園に手渡して来ました。当日は、岩手県私保連の佐々木会長と遠藤副会長に案内をしていただきました。
 私個人としては、震災以降初めての訪問で、状況や様子などはメディアや記事からしか得ていませんでしたが、甚大な被害であったことと、その後の復興があまり進んでいないということは間接的に認識をしていました。ただ、すでに1年7か月以上経過しているという「時間の流れ」がある中で、「これくらいは成されているだろう」という根拠のない漠然としたものは頭の中で思い描いていました。


被災当時のままの陸前高田市役所庁舎

 

1 陸前高田市を訪問して
 JR花巻駅から最初に、陸前高田市へ向かいました。同地には訪問園である竹駒保育園、広田保育園があります。両園とも園舎そのものは残っていますが、津波による浸水で継続的な建物の使用が困難となったため、園舎の建て替えを余儀なくされていました。
 現在、竹駒保育園は100m程離れた高台にある公民館で保育を行っていて、山側500m位離れた場所に新園舎を平成25年度開園に向けて建設中であり、広田保育園は今も被災園舎で保育を行っていますが、高台への移転を予定しているとのことでした。
 また、竹駒保育園から広田保育園へ向かう途中で震災当時の陸前高田市役所を訪れました。市役所まであと少しの所まで来た時、「以前、この地域は1万人以上が住む街でした」といわれたその先は、一面雑草が生えた家の基礎部分だけが残された光景しかありません。確かに瓦礫等はきれいに片づけられていましたが、とてもそこにそれだけの街が存在していたとは到底思えない風景に唖然とするばかりでした。そして、それを上回る衝撃を受けたのが被災当時のままの市役所庁舎。規制線が張られた入口にはたくさんの千羽鶴が飾られ、その奥には無数の瓦礫と突っ込んだままの自動車、3階まですべて割れた窓ガラス。まさに“呆然”という言葉そのままに立ち尽くしてしまいました。

2 釜石市を訪問して
 釜石市の訪問園は釜石保育園、鵜住居保育園です。両園とも、津波により全壊となってしまい、釜石保育園は少子化の影響で廃園となった幼稚園を借りて、鵜住居保育園は集会所を借りて保育を行っています。
 新園舎について、釜石保育園は公設民営のため市の方と協議をしながら進めており、平成26年4月の開設を目指して、鵜住居保育園は卒園式を何とか新園舎で行いたいとの思いから、25年3月の開設を目指してそれぞれ取り組んでいるとのことでした。


廃園となった幼稚園を借りて保育中の釜石保育園


3 大槌町を訪問して
 続いて、この日最後の訪問地の大槌町に向かいました。同町は津波以外に火災よる被害も大きかったところです。釜石から大槌に向かう途中に限って目にしたわけではなく、具体的な数字を挙げることもむずかしいのですが、本当に多くの仮設住宅を見るにつけ、さまざまな壁があり、そこから抜け出せない事情があるのだろうことは想像に難くありませんでした。
 さて、向かった地にあるのは大槌保育園です。同園は津波による浸水のため新園舎の建設を予定していますが、被災した元の園を活用したリニューアルの形で平成25年4月の再開を目指しているそうです。現在は別の地に建てられた仮設園舎で23年6月より保育を行っています。同園訪問の際に伺ったお話の中で、地価の高騰が挙げられていました。同園仮設園舎周辺の地価は震災以前より約10倍となり、同様の現象が被災各地に起こっているそうです。
 そして、同園は震災以前は本連盟の会員園ではなかったのですが、会員の有無にかかわらない本連盟の支援に対して感謝の意を述べられるとともに、「忘れられていなかったことにとても安心しました」とも話されていました。

4 山田町を訪問して
 宿泊地である釜石市を後に、山田町に向かいました。山田町は、前日に訪れた大槌町と同様に津波と火災の被害を受けた町です。山田町では、わかき保育園、大沢保育園、山田町第一保育所の3園を訪れました。
 2日目最初の訪問園、わかき保育園は津波により園舎が流されてしまいましたが、今回その跡地を唯一見ることができた園で、不謹慎を承知で表現させていただくなら「きれいさっぱり」に園舎は流され、門に刻まれた園名で、ここに保育園があったのだとわかる状態でした。現在は園舎裏手にある山の麓の廃屋となったホテルで保育を行い、平成25年4月の再開に向けて別の地に新園舎の建築を予定していました。
 続いて訪れた大沢保育園は、津波による被害は浸水にとどまりましたが、地盤沈下による園舎の傾きや元々の耐震性の関係から、25年2月の完成を目指して園舎の建て替えを予定しており、従前の場所で現在工事を行っていました。保育は、園舎のすぐ裏手の高台にある旧小学校を借りて行っていました。なお、同園理事長先生の奥様とご息女様は津波により亡くなられたとのことでした。
 次は、今回最後の訪問園、山田町第一保育所。今回の救援金は津波により破損した石垣を補修するために、ですが、床上浸水した園舎で現在も保育を行っており、いずれは建て替えも視野に入れているということでした。



旧小学校を借りて保育中の大沢保育園

***

 冒頭に頭の中で描いた根拠のない復興は、現実をこの目で見てこの耳で聞いて、見事に裏切られました。補助金の使われ方や被災された方々の考え方の違いから生じる遅れが存在することは承知をしていました。しかし、それを差し引いても、まるで時計の針が何倍もの遅さで進んでいるかのような現地の状況に、「復興をリードするはずの政治家の皆さんは、いったい何をしているのだろう」と、選挙のために離合集散している姿を冷めた目で見てしまいます。
 ただ、どのような状況であろうと、現実を進んでいかなければならない現地の方の前を向いて歩んでいる姿には頭が下がる思いです。心に負った傷は簡単に癒せないと思うのですが、訪問させていただいたどの園の職員の方も、子どもたちも、とても良い笑顔でした。そして、どの園でも共通して「全私保連をはじめ、全国の多くの人たちが物心両面で支援をしてくださった。心から感謝している」とおっしゃっていました。
 被災地といわれているすべての地域と、被災された方々に継続的な支援を続けていくのは当然ですが、その状況を全国に伝えていくことも大切なのではないか、と強く思いました。
 最後に、公の誌面で個人の感情を載せることにお叱りを受けるかもしれませんが、一言いわせてください。
 「みなさんのことは、忘れていないですよ!」

(片岡敬樹/全私保連広報部)


門に刻まれた「わかき保育園」という文字…