公益社団法人 全国私立保育連盟

保護者

今、保護者に届けたいメッセージ 第18回②

「まとめに代えて(1)」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


子どもはいつも大人に認めてほしいと思っています

 保育の場を訪れていつも思うのは、子どもはみんな保育者に認めてほしい、一対一でかかわってほしいと思っていることです。「せんせい、きて」「せんせい、みて」と子どもが保育者を呼ぶのも、何かしてほしいから来て、できたものを見てほしいから来て、ということももちろんありますが、それ以上に、先生と一対一の関係になりたいという場合がほとんどです。保育者はある子どもに呼ばれても、すぐに行ってあげられないことが多いのですが、少し余裕があって、「なあに」と傍に行くと、子どもははにかんだ笑顔を見せて、嬉しそうにします。大好きな先生が傍に来てくれるだけで嬉しい、そばに来てくれると何か自分が違う子どもになったように思える、そんな様子を示します。

 子どもは自分一人では元気な自分にはなれないかのようで、大事な大人が傍に来て、あなたのことをいつも見ているよ、あなたは大事な子どもだよという思いを向けてくれると、それだけで自分は自分なのだ、自分は大事なのだという思いになることができます。これが自己肯定感ですが、この自己肯定感が立ちあがるのを子ども自身が感じることができるためには、保育者が傍にいて、自分を温かい目で見てくれることが必要なのです。

 同じことは、お母さんにもいえます。お母さんが大好きなのは、いつも傍にいて、自分のことを大事に思ってくれるからです。子どもの目から見て、お母さんがどれほど傍にいてほしい存在なのか、どうしてそれほど求めたい存在なのか、この連載ではそのことをまず伝えたいと思いました。第15回は、お母さんがお迎えに来るのを自転車に乗って園庭を何回も回って「今どこまで来た?」と保育者に尋ねるエピソードを紹介したのも、そこに母を求める子どもの切ない思いが凝縮されていると思われたからです。
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 今、お母さん方の中には、自分の大変さをまわりの人にわかってほしい、自分も自分らしく生きたいと思っておられる方がたくさんいらっしゃいます。自分をまず大事にしたいと思うことは、一回限りしかない自分の人生を考えれば当然のことです。しかし、連載第
15回や第16回のエピソードにも見られるように、子どもはこれほどまでにお母さんという存在を求めています。それにしっかり応えることも、保護者として大事なことではないでしょうか。

 初回に、この連載はお母さんが読んで楽になるものにはならないと予防線を張りました。むしろ、お母さんが子育てに難しさを感じてしまわないかという危惧もありました。しかし、こうすれば子育ては楽になる、こう考えればあなたの生き方は肯定される、こうすれば子どもは親の願ったような子どもになる、等々、巷に溢れるわかりやすい言説は、お母さんを一時的に安心させても、人生の糧にはおそらくならないと私は考えています。

 またお母さん方の中には、今はやりの幼児教育について、もっと何かを語ってほしい、幼児教育の進め方や塾の利用の仕方や小学校との接続について教えてほしいと思う方々もいらっしゃったかもしれません。

 そのことを踏まえて、今回の「まとめに代えて」(1)に加えて、次回を(2)として補足的に述べてみたいと思います。

第19回は3月上旬に更新予定です。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。