公益社団法人 全国私立保育連盟

保護者

今、保護者に伝えたいメッセージ 第17回②

「子どもは子ども、でも子どもは未来の大人」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


大人という存在も不思議な捻ねじれを抱えています

(1)大人はみな、かつては子どもでした
 いつ大人になったの?と問われれば、誰も答えられません。お母さんもそうでしょう。大人はみな、かつて子どもでした。今は大人だとしても、みな子どもだった頃の記憶を体に浸しみ込ませています。自分が幼かった頃の記憶は薄らいでいるかもしれませんが、わが子を育てながら、自分にもこういう姿があったのに違いないと思うことがしばしばあるに違いありません。子どもの様子を見て、「そうだね、そうしたかったね」と子どもの思いに共感できるのも、お母さんがかつて子どもだったからです。
目の前のわが子が、まるでかつての自分であるかのように思われることはありませんか?自分に叱られている子どもはかつての私、叱っているのは私の母というように、世代が一世代ずれたような錯覚に陥ったことはありませんか?
 ここに、かつて〈育てられる者〉だった者が、今〈育てる者〉になっているという不思議が現れています。今の自分の子育ては、かつて自分の親が自分に振り向けてくれた子育てとどこか相通じるところがあるのは、〈育てる者〉になった大人がかつて育てられた時の経験を体に浸み込ませているからでしょう。

(2)今のお母さんの願いは、かつて自分の親が自分に向けてきた願いでした
 ここに、お母さんが子どもに振り向ける様々な願いが不思議に捻れる理由があります。早く大人になってという思いは、かつて自分の親が自分に向けた思いでもありました。それに対して、「嫌だ、まだ子どもでいたい」と抵抗した子どもだった自分が、今お母さんになって、「早く大人になって」とわが子に求めているのです。なんという不思議でしょうか。
 そして、「いつまでも可愛い子どもでいてね」という思いを子どもに向ける時、それはかつて自分の親が向けてくれた思いだったと気がつくでしょうし、それに対してわが子が「もう、大きいよ」と逆らえば、それもかつての自分の姿だったと思わずにはいられないでしょう。
 こうしてお母さんは、この連載第4回(2016年月号)の図1の内側の楕円に見られるように、子どもと自分の親とのあいだに挟まれて、子どもの側に引き寄せられたり、自分の親の側に引き寄せられたりと、気持ちが揺らいでしまうのです。
 ですから、よかれと思う自分の思いを一方的に子どもに押しつけて、子どもに聞き入れさせようとしている人は、かつて自分もそのように育てられて来てしまったからか、この世代間の入れ替わりの実体験が乏しいか、のいずれかだと考えられます。
 いずれにしても、子育てが難しくなるのは、子どもという存在も、大人という存在も、一筋縄ではいかない矛盾した面を抱えているからなのです。

第18回は2月上旬に更新予定です。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。