公益社団法人 全国私立保育連盟

保護者

今、保護者に届けたいメッセージ 第17回①

「子どもは子ども、でも子どもは未来の大人」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


子どもという存在の不思議

 お母さんもかつては子どもでした。子どもの時に、大人になるとはどういうことなのかがわかって大人になってきたわけではなかったでしょう。また、いつから大人になったのと問われても答えられないでしょう。子ども、大人、というと、何かまったく違う存在のように聞こえますが、子どもがいつ大人になるのか、そこにはっきりした線引きはできそうにありません。

(1)子どもはやはり子どもです
 子どもはまだ一人では生きていけません。どうしても大人の庇護が必要です。小さいし、すぐ病気になるし、基本的生活習慣が身につくまでに随分と時間がかかります。栄養面と衛生面がしっかりしていて、たっぷりと愛情が与えられ、大きな病気にかからなければ、たいていの子どもは元気に育ちます。しかし、そのどれが欠けても子どもはうまい具合に育ってくれません。
弱い存在の子どもが成長していくうえには、大人の優しい働きかけが欠かせません。また、たいていの子どもは大人の愛情を引き出すことができる資質を持っています。小さく柔らかい体、愛くるしい顔つき、天真爛漫な振る舞いなど、お母さんがつい抱きしめたくなる表情や仕草を示して、まわりにいる大人を喜ばせます。
 しかし、それは子どもの一面です。その好ましい面とは逆に、子どもは泣いたり、わめいたり、ぐずったり、いうことを聞かなかったりと、大人を手こずらせる一面を必ず持っています。子どもは可愛いだけではなく、大人に腹立たしい思いを惹き起こす存在でもあります。子育てが楽しいだけで終わらないのも、子どもにそういう二面性があるからです。
 このように弱い存在であって、なおかつ「可愛い顔」と「憎らしい顔」が同居している存在が子どもです。こうした子どもに対して、「児童憲章」や「子どもの権利条約」は、子どもを大事に守り育て、子どもの持っている可能性を最大限尊重するのが大人の義務であると定めています。子どもは大人の所有物ではなく、小さいけれどもれっきとした主体として扱う必要のある存在で、虐待などはもってのほかなのです。

(2)子どもは未来の大人です
幼い子どもは大人に育てられなければ生きていけませんが、でも、お母さんやお父さんや先生に憧れ、自分も同じようにしてみたいと思って生きています。1歳を過ぎると、やってみるとまだできないことでも「自分で」「自分が」と自分でやりたがるのは、子どもが未来の大人であることの証あかしの一つです。2歳の子どもでも、「まだできないでしょ」と大人にいわれると、プライドを傷つけられたといわんばかりに膨ふくれたり怒ったりします。どの子にも、早く大人になりたいという気持ちが働いています。
 しかし、まわりが早くいろいろなことをできるようになりなさいと背中を押しすぎると、僕(私)はまだ子どもだから、もっと甘えたいし、もっとお母さんにしてほしいというでしょう。早く大人に近づけようと焦あせると、まだ子どもだからと子どもの側に引きこもり、子どもの側に押し込めようとすると、もう大きいのだからと抵抗する。ここにも子育てが難しくなる理由があります。
 お母さんからよく、「どこまで甘えさせていいのですか?」「どこで厳しくしなければいけないのですか?」と問われることが多いのですが、その問いに簡単に応えられないのは、子どもが今見たような矛盾した面を抱えているからです。

>②大人という存在も不思議な捻ねじれを抱えています