子どもの「できる、できない」から、子どもの心に目を向けるために
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)
②できれば「よい子」に、悪くても「普通の子」に育てたい
ひところ、「よい子」「普通の子」「ダメな子」というように、子どもを三分割する見方が流行り、お母さんの多くは、わが子はできれば「よい子」に、悪くとも「普通の子」に、そして「ダメな子」や「できない子」には絶対にしたくないと、いつの間にか思うようになってしまいました。お母さんの中には、自分が子どもの頃、まわりの大人に「ダメな子」と見られて嫌だったから、わが子にもそういう思いをさせたくないと思っている人もいるかもしれません。
このことが、「できる、できない」と「聞き分けのよさ」という点から子どもを見る見方を助長したように思います。そして、「できる、できない」の見方の上に組み立てられているのが「発達」の考え方ですから、できることが増えることは、発達を前におしすすめることだからよいことだ、それが子どもの成長につながり、ひいては子どもの将来の幸せにつながるのだという考えに結びついていったように見えます。
こうして、できることが増え、聞き分けがよいことは、「よい子」であってほしいというお母さんの願いと合致するばかりではなく、それはまさに「子どものため」なのだと考えることができます。そこから、何とかして早くできることを増やして、聞き分けよくできるようにしたい、というお母さんの気持ちがよりいっそう強められることになります。
これが今の「あれをさせて」「これをさせて」というように、次々に何かをさせて力をつけるための子育ての仕方を導き、またそれを保育の場にも求めるという流れが生まれ、「早期教育推進」という掛け声に諸手をあげて賛成する風潮をつくりだしているのだと思います。