公益社団法人 全国私立保育連盟

保護者

今、保護者に届けたいメッセージ 第11回②

「褒めて育てよ」といわれていますが…
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)

大人の願いを叶えるための「褒める」になっていませんか?

 さて、「褒める」が生まれる通常の場面を前に記しましたが、昨今のお母さんや保育者の「褒める」は、次第に本来の意味をはみ出して、自分の願い通りの行為が生まれた時に「褒める」というふうに、子どもの行為を篩にかける意味合いをもつようになってきました。

 第2回目で取りあげた「条件付きの愛情」と同じように、お母さんの願っていることをしてくれたら「褒める」というように、「条件付きの褒める」になってきているように見えるのです。「片づけをちゃんとしたら褒めてあげる」「市販のワークブックをちゃんとやったら褒めてあげる」といように、お母さんがしてほしいことと「褒める」こととが引き替えの条件になっている場合が目につくようになりました。

 そうなると子どもは、本当はお母さんの願っていることをしたいわけではないのに、褒められたいがために、自分のしたいことを諦めてでも、お母さんの願うことをしてしまうようになっていきます。

 そして、それはお母さんにとっては嬉しいことなので、大いに褒めることになり、しかも褒めることは子どもを喜ばせるので、自分のしていることは正しい子育てだと思い込みやすくなります。そこに落とし穴があるのです。

 自分からした行為がお母さんの「褒める」に出会って、嬉しい気持ちになり、前向きの意欲が湧くというのが願わしい流れです。それが、褒められたいからお母さんの意に沿うことにスライドすると、しだいにそれをすることが自分のためなのか、お母さんを喜ばせるためなのかの見分けがつかなくなって、しだいにお母さんに自分を譲り渡し、お母さんのいい子になろうとすることにつながります。それが怖いのです。

 お母さんは、褒めると子どもが聞き分けよく自分の願いを聞いてくれるので、嬉しいし、子育てがしやすくなり、「褒めると育つのだ」と思い込みやすくなります。しかし、そのような意味での「褒める─ 褒められたい」の関係が繰り返されると、褒められることを過剰に求め、褒められなければ何もしないという状態にしだいになっていきます。それは、子どもが一個の主体であることを見失った状態だといわなければなりません。

 これが、子どもが大きくなった時に、「自分から意欲的に物事に取り組むことができない」という負の事態を招くのです。

>③真心のこもらない「褒める」にならないために